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シュレディンガーの猫ってシュレーティンガの猫っていうんですね 

どうも、以外にも100メートルは13秒台です、ふくろばんです。


帰りにシュレーティンガーの猫というものが単なる思考実験ではなく現実世界に形をとって顕現してき

て敵対行動をとった場合にアニメキャラで倒せるかどうかというのとまたその顕現してきた際に考えら

れる能力とかを本気で考えるという阿呆なことを帰り際に友人と繰り広げていました。

倒せる方法というのは・・・・・・まぁ仮定できなくもなかった気もしますね。

思考実験相手なのでコペーハーゲン派の解釈とかエヴェレット解釈とか絡んできてるので考えていた

ら頭が爆発しそうです^^;



久方のブログ更新ですね、帰っては寝て帰っては寝ての繰り返し、気がついたら次の日の朝なんてこ

ろがザラです、どうにも情けない。

最近はめっきりと涼しくなってきましたね、夕焼けの雲がやけに綺麗でした、秋が近づいているのが分

かります。

最近は金欠でしたけどいい加減カメラがほしくなってきたので高機能のデジタルカメラでも買おうかと

思います、景色とかうつしたいもんですからね、ネタも増えますしw

リクエストも停滞している状況、一体いつまでかかっているのかと、ちょっとドーヴァーに沈んできま

す・・・・・・・。




ではコメント返信いきますね。
















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夏の疲れ 

どうも、夏の疲れがここにきてでてきました、何もしてないのに不思議ですね~、ふくろばんです。


久しぶりの考察、とはいっても前に書いておいた議題を書くわけじゃないのですね。

日々の自己嫌悪とそれに対する叱咤と言い訳・・・・・・・・まぁいわば愚痴ですね、ハイ。
愚痴なんてのは言うのも無駄な行為ですけどリアルでいえないならネットしかないわけでして^^;
本音が出てくるかもしれないので苛烈な言葉がでてくるかも・・・・・・・・・しれないですねw
意味不明な言葉が出てくるのは多分アホだからだと思われます
一介の高校生の愚痴なんて聞いてられるか!という方は華麗にスルーしてくだすってくだせぇ。


最近やはり自分の稚拙さ、が目に付くことが多い

やるべきことからの逃避、やったらその分前に進めるのに現状に甘んじる怠惰の気持ち、現状維持
、今はまだ途中、そんな甘えの気持ちが自分を駄目にしていく。

突破口はある、自分の駄目な部分が見えているのならそれと逆になることをすれば良い、努力したら前に進める、時間の浪費なんてするかしないかの躊躇してる間に過ぎていく、何故コレをするべき事に向けないのか、結果何も出来ないということが大半。

人は言う、所詮そんなもんだと、そういう言葉を聞く度に吐き気がする。
人は人のそういう愚痴を聞くと余り思いつめないように安心させるようにハードルを下げた言葉を言う
みんなそんなもんだ、高望みして考えるな、程度の低いことを言って安心させようとしてるのだろうが
正直既存の言葉なんていらない、自分の性格上既存を知ったからといって安心するわけじゃないのだ
別の面から見ると臆病とも取れる、既存すら知ることすら恐れて現状から動くことを極力避ける。
既存の言葉がただしいか否というのは多分関係ないのだ。

正直やせた考えだとおもう、どんなに難しい言葉を並べたって自分が望んでるものを見れば子供の我侭だ、ひどく幼稚、16年生きて他の人よりものの考え方が進んでいたときもあったけどそれは今にして思えば自分の感覚を閉鎖して他の人の言うことに耳を貸さず殻を被って篭城していたに過ぎない
そういうことをせざるを得ないことが立て続けにおきたことも事実だがそれを建前にしてここでこうやって愚痴をこぼすようじゃそこら辺に実力が伴わないのに形や外見だけで大人になろうとして粋がっている不良にすぎない、痛い行動、自己慢心、自分自身が一番嫌いなタイプの人間だ、わきまえずに自分の言い分だけで物事を判断する、根源的に人はそうなんだろうけど聡明な大人たちは(そんな大人が一体どれほどいるのかは分からないけど)実力とそれに裏打ちされた自信があってそれを基準に行動できる。
僕はそれを精神的な面で模倣してるに過ぎない、鬱屈とした閉鎖的な環境の中で上手くやっていく為に大人として培われてきた第三者の自分(良心の呵責ともとれる)と行動の取捨決定を促す主観的で二次元的な子供の自分(いわゆる根源的なもの)、この子供は情報を無意識のうちにシャットダウンしてしまう、どんな事がおきても強い、自分というものを突き崩すような情報、出来事が発生しない限りこいつが動くことはない、現状維持、保守派、要はこいつが動かない限り何も本気でしようとは思わないし物や人に対する思い入れが薄くなりがちになってしまう。然りで成長もほとんどしない
内面的な子供を庇護する為に生まれたのがここで出てくる第三者の目、大人の自分、良心みたいなもんである、こいつは子供が傷つかないように外から入ってくる小さな情報を拾って対応をする、些細な会話とか普段の出来事にたいする人格的な対応がそれ、一時期、一人の女子が突っかかってきたことがあった、その子はハッキリいってあまり褒められた人物じゃない。
その子と口論になった時、突然激しい動悸と貧血が起こった、後で聞くと対人恐怖症の症状だという。

自分は人とちょっと口論しただけでこの様なんだ、と痛感した。涙がでてくる。
過去にあった虐めのお陰で自分は既存、いわゆる外界からの情報をシャットダウンし自身の成長を妨げて主観的な思考をすてて第三者が主観の代わりをするという人格を形成してしまった。
これは傷ついても前に進もうとする改革の感情じゃなく傷つくのを恐れ行動を控える保守派の考え怠惰に繋がる、第三者の目線で欠点と原因が分かっていても基本が保守派なんじゃ動きようもない、考えすぎだと思う、ここまでくると事実を越えて憶測の域、根拠もない、しかし考えることだけは無駄じゃないと思いたい、怠惰な自分でも考えることだけは出来るのだから。



ふう、疲れました、ここまで読んでいただいた方はありがとうございます、情けない文ですが何かご助言いただけるとありがたいです。


ではコメント返信いきます。







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何分私には怠惰の二文字しかないわけです 

どうも、CCさくらはあの年代で既に腐女子要素満載だということをようやく理解しました、お兄ちゃんと雪兎との間には絶対に何かある。と思ったふくろばんです。

個人的には兄貴の方が受けだとおも・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ふ、これ以上考えるのは危険ですね。

ああ、ナンでしょうね、のんびりとかだらだらとかそういうレヴェルじゃあないですね。

そりゃあ毎日、無理のないverののび太のバイオハザードやってたら何も出来ないですねwwwww

のびたのバイオハザードを知らない人はニコニコ動画などでプレイ動画あります。

最近までうpろだにはなかったのですが最近またうpされたので今のうちにやりたい方は落としとくことをお勧めしますね。





以下疑問に思っていること  読まなくてもいいと思う。

芸術と美術の線引きというかコレを分けているものは一体ナンなんでしょうね?

文化として派生している音楽や美術を総じて芸術と呼ぶことが多いこの世の中、今だ僕たちのような

一般ピープルには芸術と美術の線引きすら困難であると思いますね、有名な絵を見て

「これは芸術的だ!」とかクラシックを聴いた人が「なんという芸術!」とかそういうのが聞いたことなく

てもしっくりきますよね、多分頭の弱い人が感動したときに言う言葉でものすごくたくさん言われてきた

ことなんでしょう、絵を描くときの行動を美術活動といったり芸術活動といったり、学校の科目が芸術

でなく美術だったり、それの両方のどっちが正解だなんて分かりませんよね?

音楽は芸術活動、またはそのものの名を活動と称したり美術は絵だったり彫刻だったり美術事態の

名前があるのにその行動範囲は一般に言われる‘‘芸術活動の‘‘域を出ない、なんなんでしょうね?

突然だけど音楽について考えてみよう

音楽は古くから絵などと並び、古くから人類の持つ表現特性により生まれた文化、音というものを使っ

て故人の方たちは世界を表現してみようとしたり自分に内在する精神世界を符に書き出し世に送り出

し多くの人たちの感動を誘った、音楽というものは古来よりそれ自体を目標とする活動ではなく自身の

思うこと、感性、その感性や眼が他のものに届いた先のものを音により自己を通して表現するものであると思う。

探してみたら夏目漱石さんもいってました。

芸術は自己の表現に始まって自己の表現に終わるものである。

                            ~夏目漱石~



音楽や絵画、美術にかかわらず芸術というのは自己という存在が最重要なもののようです。

音楽も例にもれずそれに当てはまってますな。

芸術の定義なんてものは初めから真実の結論なんて物はないのですが僕たちが認識出来ている、

又は今の僕たちのいる芸術や音楽に対しての立ち位置で考えると自己表現が一般的な、もしくは物

事に内在するものを内から外へ発散する為の一つのツールともいえるのでしょうか、まぁ世の中には

自己以外にある、回りの素材、現象からそこに芸術や音楽を見出す人も大多数にいるので一概には

結論は出せませんがね、そこはまた今度考えることにしましょうか。

次は絵を描いたり彫刻を彫ったりするときとかに聞く美術というものですね。

一般で言えば絵を描く=芸術活動となりますね、芸術活動というのは自己の表現だったり自分以外

に何かを見出したときに僕たちがそれを自己のフィルターを通して出すためにすることをいう、芸術活

動は事実のみを獲得してそれを素材を使って出すものではなく自己の主観で見た物を自分が知覚出

来る形で出すことだと思う。

一概に絵を描くといってもそれには模写だったり超現実(ありえないような現実を描く、みたいな?)の

ように事実存在しないような精神世界を描いたりマンガやイラストみたいに人や進行性のある物語を

一つのテーマに搾り、空想を現実として描くものがあった、はたまたリズムやテンポ、感情の浮き沈みを主題というものを無しにしてただそれだけを点みたいなもので描いたり(なんという考え方、技法
?か忘れました)というものがあったり・・・・・・・・。




ああ、なんだかめんどくさくなってきましたwwwwwwwwww

今度まとめて考察記事にてまとめようと思います、長い文章でちゃんとかけなくてすいません><


ではコメント返信はついきにて


ノシ





















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フッヒヒヒッヒ☆← 

あ、あぐ、、、、、首を朝の体育のマット運動の飛び込み前転でやっちゃったよ。。。。。。。
首が・・・あばばばばばばばbbっばばばbbb、うぐぐ、なんでこんなめに、死んでしまいたいよもう、おや??鏡見てると若干首が曲がってる・・・・・・ような・・・・・・・気のせいだよね、ね・・?


えあ・・・・あ、はい、ふくろばんです。
しかし前記事まさかの10コメ達成、、、、、10という文字がこんなにも輝かしいと思ったのは初めてです。

ちょっと考えました。
勝手に自己完結してる部分があるので読むのが嫌なかたはスクロールしてください


最近はイラストとマンガ、萌え絵の違いに改めて気付かされたような気がする、ジャンルの違いとでもいうのだろうか?
高校の週に三日の二時間~三時間の美術で油絵、構成、デッサンをやっていくうちに自分のイラスト方面での画風が美術方面に引きずられていくような感じがしています、自分の描く絵と他の方の俗に言う純マンガ絵?(マンガキャラのみ描いてきた)を見てるとさらに顕著にその違いを認識する事が多い。
本場の美術家に絵を見せると細かい所をかけてとても繊細な絵だといわれる、昨日のおっそろしいキラードール(倦怠の心Mk-2様命名)を見せたところ主線は弱いが繊細なタッチと言われた、どうにも物事は原点に近い行動をとるとそれに則して動くものらしい、基礎が大事とはこのことだろうか?
技法云々よりその物事の起源、原点にさかのぼりそれを媒体にしてさまざまなものが派生し、今日の自分達の表現できる世界があるわけだけども、どうなんだろう?自分のやっているマンガ、イラスト絵は絵画等の派生型になるわけで今自分は絵画をやっている、派生の元となる創作活動・・・それに触発されて変化し昇華していく絵。
多分自分がこれと全く逆の行動をとればこれは逆に動くだろうと思う、普段が普段、ちょいと言葉のニュアンスが違いますがこれが妥当なことなんだろうと思う、人間は今も昔も進歩しない生き物だし、一つのことしかできない人間が大半、要は不器用なんだと、うん、たぶん、そうだ。

結論:人間は不器用なので一つの原点に近い行動をとると自己の内面的なものがそれに引きずられて違うものになる、また技法、手癖なども自己の癖、いわゆる内面的なものに属するのでこれもまた然り。

あ、よく考えたら普通の事だ(´・ω・`)




描く絵が決まりました、先日のリク絵の詳細が分かったのです^^;←
ファトレジスタのGaku様は生活応援のゆうかりん!
げいむ研究会のひなて様はみょんこと妖夢です。
両方ともカラーで行きます、アナログで行くので水彩画かもしれないですね。
今回は作業途中の絵の進行具合のレビュー的なこともしてみようかと思います。




ではコメント返信は追記にて


ノシ
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そろそろ大人になろうか 

どうも、絵描きより歌を歌うほうが上手いと言われたふくろばんです。
そっちの才能なんていらないから絵の方にまわしてほしかった・・・・・・。


線画が仕上がったのですがその色塗り絵師様との連絡待ちです。
早く連絡がとれないだろうか。


高校生というのは情緒が不安定になりがちなものと聞きます

まさにそのとおり

押さえつけられる存在が今まであったけど今までと違ってそういったものが存在しないために自立をいやがおうにも促され、なのに実力が伴わない為にそれにジレンマを覚え周に対して劣等感を抱き素行が悪くなり反発する、といったのが一般論なんですけど、、、、、、
あれ?これなんて自分?周りの人たちに聞くと「そんなの全然考えてないしww楽しければいいのさ!」ていう輩がほとんど、羨ましい限りですwwww
周りが怖くて本音も出せない自分のみになってください・・・・。
さてさてこんな鬱記事書くために更新したわけではないので続けます。


妹と自分の絵の違いについて考えてみた、妹の絵を見てふっ、と思ったんです、自分はこの絵を上手いと思ってるけど自分がこの絵を描いてたらどう思うのだろう?
結果、「多分自分が描いてたら許せないと思う」ということに行き着きました。
画風の違いですね、ホントのところそうだと思う、自分の上手い下手の基準が自分の画風なんだということに気付きました、試しに描いて見ましたが「ここはこうだろう」、とか「ここはこうなるべきだ。」という上手い下手関係ない考えしか浮かばないんですな、画風の違いは個人の価値観にも密接なかかわりがあることがわかりました。
楽しく描ければそれが一番いいですよ!自分の場合絵を描くたんびに死にたくなります^^;



最近東方星母録というゲームにはまってます、MOTHEと東方を混ぜたようなゲームでお互いの世界観が両立してて面白いです、検索してうpろだにまだあったと思うので未プレイの人は是非やってみてください。


ではコメント返信は追記にて


ノシ







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