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縮小 

ブログの活動を、縮小します。
そんなに多くの人が見ているわけでも無いのですから活動云々言ったり縮小とか何か勘違いしてる人っぽくて変な感じです。
書いてる記事も最近は間隔開いてきて少ないですし。

理由を挙げるとまぁ忙しいからというのもあるのですが
ぶっちゃけていうと煩わしくなったのですね。

記事を書くのが単純に面倒になったとかではなく、今の自分にはやっぱり時間が必要だ、という事でしょうか。
このブログは自分の思ったことや意見を、個人的には独白できる場所だと思っていましたが、勘違いに気付いたというか、今更、恥ずかしながらにそうではない事に気付いたという事ですね。
目に付くような形で自分の考えを載せることはどんなに小さな隅っこのほうで起こってることであれ、それはそこに人の意見を求めている社会的な行為で、自分が求めるものは別段ここでは重要ではないという事でした。

始めた当初というのは何も考えずに面白半分でしたが、それが徐々に人のつながりになり、かつて現実では満たされないようなつながりや同意というものを求めていました。
そのうちに、個人的な悩みというものが頭を擡げ始め、此処に独白のつもりで、ここが自分の領域だと感じて書いていました。
実際それはそうなんだと思いますが、ここでは思ったより簡単に人と人との距離が縮まります。
人との距離、これは自分にとって大きな問題です。

自分は一回、人とのつながり、人がたくさんいる中での社会的な活動の中で失敗した人間です。
今までの自分は少し欺瞞的な部分が多すぎでした。

初めから何も言わなければ言い、そう考えたのですね。
何が悪いとか正しいとかではなくて。

かまって欲しさから来る人への親切だとか、そういうのは自分の慰めだけで相手を見ていない、この事実が今の自分には何よりも重い発見でした。
動機が問題でした、言葉とか行動だけをとるなら誰だって雄雄しく立派になれる。
建前と本音、難しいモンです。

かといって、せっかくここまで続けたブログを閉めるのもアレですし、なんだかんだいって年単位で続いているので。
閉鎖じゃなくて縮小みたいな感じで細々とする事に。

勝手に空回りをしている感じです、本当に自分で何をやっているのか不可解な部分があります。
肯定も否定も、今の自分には煩わしく映ってしまうので落ち着くまでは記事で文章を書く事は無いでしょうね。
もしかしたら勝手にこのブログを放置して新しく作って消えてるかもしれない。そうじゃないかもしれない。

なんにせよ軽い気持ちで動く事は今の自分には出来そうも無いことですから、こんな仰々しく文章を書いているわけで。
言葉は苦手です、人と論ずるのは苦手です。自分の考えを書くのも苦手です。
結局は言い負かされても自分の言い分は変わらないので、別に言葉を発する必要も無い。
改めさせられるんだったらそのときに考えれば言い。

絵は載せます。
描かなくてはいけないのもありますし、気まぐれで載せるかもしれない。

コメントの返事はしません。

そのような感じです。

それでは。


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トラウマ 

以前から何度か記事で書いたことがありますが。
自分は過去に、長い事いじめを受けていた経験があるとです。

小学校三年辺りからおぼろげに、五年で確定的に標的になり、中学校もまだその人間関係が続いていました。
高校はそういう人間関係にいい加減ウンザリしたのでそういう人たちがいない場所に行きましたが。

気が付いたら周囲から阻害されて、気が付いたら自分の価値を貶められて、否定されてしまっていたんです。
当時はただただ、周りが怖くて、一日一日毎日毎日が地獄のようでした。
年間通して苛められると逆にその事にある程度なれるというのも恐ろしい感じがします。

殴られるとか、痛い思いをするなんて事はさすがにありませんでしたが、それでも一対多で日常的に自分というものを否定されて、その苦しみは決して軽いものではありませんでした。
いじめられている日常から逃れるには、周りに何も感じないようにするのが一番なんですよ。
見ているものも、聞えているものも、そこにいる自分でさえも、どこか一歩引いた感じで舞台でも見るようにして日々を生きるんです。
今にして思えば、それが自分というものを大きく損ねた選択でありました。
いじめてる側に何言ったって改善される訳が無いと思っていましたし、諦めていました。
粘着質な感じで、何を言っても、問題を表面化しても、何をしてもいじめる側がそれをやめることは無いとはっきりとしていた感じですかね。

何故こういう嫌な話をを書くかと言うと、意識を外側へ向けるという事が自分にはできていないのだという感覚がはっきりとした為ですね、どこか現実味がなく、文章を読んでも、音楽を聴いても、絵を見ても、なにか今ひとつ何も感じない空虚な感覚がするんですね。
デッサンをするにしても、何か空しくモチーフの形を追いかける事も、そもそも描く事にすら時々意味を見出せなくなります。
描くということは能動的な事で、物事をやり過ごす受動的な生き方ではおよそ何もかけないということがあって。
前回の記事にもあるように、能動的になれない事が最近の一番の悩みです。
他者のためになる言葉も助言も、一介の知識以上の域を出ないことが非常に多い。
大体はそのことは頭で考えてしまっているだけに、それについて自分の頭で考えるというよりは、人の価値観の基準に合わせた頭で対話をしようとするだけのような感覚。

学校でも大体友達と話すときは、笑顔で馬鹿笑いをよくします。
しかし大体それは本心ではなく人と話すとき都合の良い振舞いをしているに過ぎない事、全然という事はありませんが大体
「仕方なく」という感覚で日常を過ごしている様ですね。
ちょっと、そういうのに疲れてしまいました。
だったらやめれば良い、なんていうのもあるのかもしれません、いや実際そうすべきですしそれしかありませんが。
急にはやっぱり無理ですね。その事を考えている事すら現実味が持てない時もあるんです。
そういう便利に生きることがまだ今の自分には無理です。
文章で自分の考えを書くと言う事に限ってようやくなんとか気持ちが落ち着くような感じがします。
誰しも、自分と自分が一体ではないような感覚はあると思うのですが、それが今一番自分の中で変えねばならないと思ってますね。

結論なんて出ているのです、初めから。
かつてはそうしなければ生きて来れなかった、生きるための自分のルール、それを破るのは結構難しい。

今はまだましなほうで、こうやって自分の意識を変えようとカウンセリングに通い始めたり、本を読み始めています。
しかし時は流れていって受験受験ですね。
周りは進学等で必死ですし、自分もやはり大学へ行ったほうがメリットはあると考えていく事を考えていますが、その時点でやっぱりこういう現実味の無い感覚が大きく自分の絵や、勉強を損ねてしまいます。

時間が無い、周りの都合で、流れであせらされる、そのなかで回りにあわせる努力をしなくてはならない、逃げるだけは駄目だと分かったので、向き合う事をしようとします。しかしまだその事で取っ掛かりがつかめずにいる。
実感をするという事をしないと、何を言われても、何が起ころうと、何を考えようと、それはまだどこか現実味の無い知識としか感じられない。

どうにかしなきゃですね。

鬱記事でしたが、テンションの高い時と低い時、波が交互に来る感じです。
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考える 

どうも、ココ最近、朝起きると手のひらがどす黒く汚れている感じになっていることが多い、ふくろばんです。
鉛筆デッサンとか木炭デッサンを頻繁にやるせいでしょうか・・・。

家では木炭デッサンするときは気をつけないといけませんね、床が大変な事になる。
もう二度とカーペットの上でやらないと心に誓いました。
今度からはちゃんとシートしきます;;

春休みに突入して、長い事立ちましたが、色々と学校から離れていると思考の矛先が学校もしくは日常から、自分自身へと集中しだします。
今後の自分の課題や人間的に変えていかなくてはならないところ、色々と見えてきたかもですね。

や、自分がしっかりすれば話は全て万事上手く行く筈なんですけどね。

デッサンなどを見ていると自分の鏡のように感じます。
その時々の気分や悩みなどが思いのほか絵に現れてくるのです。
画塾に行くたびに自分の欠点と嫌でも向き合う事になります、ん~~難しい。

最近では絵を描いていると興奮してしまいモチーフがまともに見れたものじゃないし、かといって描かなければ何も進展などしない。
解決の答えは自分であることは分かっているのですが、それを考えるための知識と自信が無い為、本などを買いあさって読むということが日常化しつつあります。

僕自身を苦しめるのは僕自身で、今僕は自分の意識と手が乖離している事を感じています。

保障が欲しいのでしょうか、揺るがない客観的な事実というものが欲しいのでしょうかね。
いずれにしろ信じるか信じないかで悩んでいるという事なのでしょうか。

案外当たり前の事で悩んでいる。
そんな感じです。


色々と悩む事もあるので、今日はココらへんにて

次は絵を載せると思います。

では






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前提 

あんまり更新しないのもあれなので、更新更新

ただいま絶賛テスト期間中でございます。
ある意味、というか結構な意味で今回の期末テスト、進級がかかってるぽいです。

明日より、テストなのですが、テスト期間中だというのにその大半を画塾で食い潰すという愚かしい事をしてしまいました;;

今必死で勉強をしている所です。

もし進級できなかったらどうしましょうか。
親からはもしお前が進級できなかったら学校辞めさせるとかそういう話が出てきています。

それもいいかあ、えへへ とか思い始めているのは内緒です。ハイ^^;

こうやってニートが出来上がっていくんですね・・・。


以下、愚痴ですたい。長いので別に読まなくても良いです。



最近は自分の中でいろんな価値観というか、今まで自分が信じてきた当たり前の事が崩れていくのを感じます。

自分が好きだったもの、自分が今までこうだ!と思ってきたもの、自分自身がここにいる、という前提そのものが信じられなくなってしまいました。

生きているという事そのものが、この世で当たり前の事の様に言われて、実際生きている事がほとんど当たり前の事のようになってます。

でもそれは見せ掛けの保障で、結局自分たちは何物にも保障されず、生きている事すら実は保障されていないんだということを最近思い始めました。
少し夏の平均気温が上がるだけで地球のどこかで人は死にますし、町を不注意に歩いていたら人は車に轢かれますし。相変わらず老衰や病気で日常的にどこかで人が死んでいます。
社会が生きる事は当たり前で尊い事だ、と言っていますが、所詮人の生き死には人の意識の及ぶ所ではなかったのだと意識します。

生きる事は誰にも保障されてない。という事がココ最近で一番自分自身を根底から揺るがした発見でした。
こういうことを誰かに話しても「当たり前だ」といいます。自分の責任は自分で持て、とも言いますし。
見方によっては自分の考えている事は一部の人には臭くて大変香ばしい匂いがするのかもしれないですね。

でも自分自身は確かにそれで悩んでいますし、そのお陰でこの先の自分の人生が変わってくるという事を強く感じています。
この悩みは誰にも理解される事はないと思いますし、誰にも肩代わりする事は出来ないです。
自分だってこういうことを誰かから打ち明けられても当たり前の事を言う事しか出来ないのですから。

「お前は一人じゃない」「そんなのは誰もが一緒だ」「悩むのは良いことだ」
こんな言葉は悩んでいる当人からすると何の慰めにもなりはしません。
有名な歌手の歌詞や、自分より長く生きている人の言葉を聞いても、自分が納得しない限り、意味はありません。

何もかもが許せなくなって、自分自身すら許せなくなって、自分自身を信じないという事がどんだけ愚かな事か、知っていてはいても、理解できません。

誰かに与えられた価値観や意識が崩れて、初めて自分自身の自我で物事を見る、という事がどれほど難しいか、最近痛感します。
自立という言葉が軽々しく出てくる世の中ですが、この言葉がどんなに重い言葉か、分かってきた気がします。
規定の物事から脱して、初めて自分というものが出てくると、自分自身の小ささが現実味を帯びてきます。

今現在のやらねばならないこと、社会で、人の決めた価値観、価値観が決めた規範の中で生きるためにしないといけないこと、それとどうやって付き合うのか。
それとも孤独を恐れないで自分のしたい事をとことん突き詰めるのか。

たぶんここの決断が自分にとって一番重要なんじゃないかなぁ。
めぐりめぐって、この考えが実はただの考えすぎッてことになる気もしますがね。


では、今日はこの辺で



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自己改革って人として生まれて以来の課題 

さすがに何週間も更新しないのはあれだなあ、とか思いましたので更新しますです。

どうも、ツライですが私は何とか元気でやれているわけでもありません、私は生きています、ふくろばんです。


最近はなにやら色々と悩む事が多くまともに絵が描けないという謎のスランプに陥っておりまする(´;ω;)

今まで惰性で生きていたことに気付き、ソレを何とか改善しようと色々とやっているのですがそれが全部裏目に出てしまい若干、というかかなりナーバスな日々をずっと送っております。

自分に必要なものは分かっているのですがそれをさぁ今から実行しようか、と行動に移すのは中々難しいものがあります。

最近ではツイッターでも呟く頻度も減ってきて自堕落にボーっとしてるか、かえって飯食べたら直ぐに寝てしまうか、の二つですね・・・、だらしねぇな!?

無い頭で深く考えすぎるのが昔からの癖ですので今までの人生を振り返って自分のこうなった原因なんかを探ってみたりもして「ああ、あれがあったからそうなんだな」とか自己理解だけ深まって自己嫌悪にまみれる日々。

他人に自分のあり方を求める生き方をそろそろ良い加減に変えたいと思うのですが。
理想を追いかけると疲れてしまいます、でもいっちょ前に変なプライドがあるものですから、昔からの理想を追いかけたい考えと現状の自身の自堕落っぷりに嫌気がさしてきたのがいい加減限界に来てしまっているのかも知れません。

現実を知った、という事でしょうか。
やらないと何も出来ないって言う事をここ最近になってやっと身近に感じる事が出来て自分を変える必要性が出てきたことに気が付いたのかもしれませんね(・ω・)

本当に悩んでいます。

周りは悩むことなくただ周りを見ずにやれば良い、と言いますが、自分には現状とてもそんな生き方は無理です。

元々自信が無い臆病な人間ですので、自分の中で意義を感じて確かな理由とそれを成し遂げるまでの心の拠り所というか根拠が欲しい人間なんです。

簡単に悩みをぶっちゃけると、ただ単に自分の意識を自分で肯定できる強さというか、その根拠が欲しいって事でしょうか。

自分の事を否定される事に慣れ過ぎて閉じこもって生きてきた癖がこびりついてしまったのかもしれません。

自分との戦いですね。
コレを直さないと自分は一歩も進めませんし、何も作る事も残す事も出来ない気がしてきます。

自信、ですね。
実力をつけてその実力が自信の根拠となるなら良いのですが、自分はどうもそれ以前の話で。
実力をつけようとするために行動するための自分の根拠が必要なのかもしれません。

物事の過程で自分がどこにあるのか昔必死に考えてた事がありましたけど、未だ改善の兆し見えず、です。


臭く、なにやら自分語りのみというなんともアレな記事でしたけど実際現物のふくろばんはこんな人間です;;

早く改善してまともな精神状態でいられるよう努力します(;^ω^)


ではコメント返信です。


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